歴史

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歴史の紹介

会津坂下町の歴史を紹介します。
会津坂下町(あいづばんげまち)は、会津盆地の西部に位置し人口およそ18,000人の町です。東部を阿賀川、西部を只見川が流れ、東に広がる平野部は標高170m前後の豊かな農地で、西部は標高200~300mの山が連なります。日本海型気候の影響を受け、盆地特有の寒暖の差があり、夏は高温多湿、冬は積雪1mほどで季節感豊かな町です。町の東部平坦地は豊かな水資源に恵まれた肥沃な土地を形成しており、コシヒカリの銘柄米の産地となっています。盆地西側の丘陵には出崎山遺跡や鍛冶山遺跡など旧石器時代の遺跡があり、早くから人々の生活の地となっていました。
古墳時代になると県内最古級の杵ヶ森古墳(4世紀前半)や県内で最大の青津の史跡亀ヶ森古墳、東北地方の前方後方墳で初めて銅鏡が出土した森北1号墳などがあり、この地に有力豪族が勢力を伸ばしていたことがわかります。この青津という地名は、「 あいづ 」 がなまったもの、すなわち 『 日本書紀 』・『 古事記 』 に記されている会津という地名の発祥地ともいわれています。また、高寺山伝承が物語るように、仏教に関する文化財が多数存在し、仏教文化が花開いていました。
会津盆地唯一の集水路であり、東西に旧越後街道が貫いていることから、古来より交通の要衝であり、越後街道の宿場町として発展してきました。会津の主要都市との距離が、会津若松市、喜多方市、柳津町までいずれも12km(3里)(20分)で、交通の要衝であり、俗に『坂下の馬鹿三里』といわれています。
会津坂下町は、奇祭が残る歴史の町でもあり、約400年の伝統をもつ奇祭「大俵引き」(1月14日)、会津の三大田植のひとつとして早乙女踊りが奉納される「お田植祭り」(7月7月)、諏訪神社の例大祭として提灯行列、仮装山車コンクールが行われる「秋祭り」(9月第3土曜日・日曜日)が催されます。
西側丘陵からの眺望は素晴らしく、東は磐梯山、北は霊峰飯豊山と雄大な景観に恵まれた「美しい田舎町」です。心のふるさと会津坂下町に是非、お越し下さい。