金塔山恵隆寺立木観音

金塔山恵隆寺立木観音

金塔山恵隆寺立木観音(きんとうさん えりゅうじ たちきかんのん)の紹介

会津コロリ三観音、会津三十三観音の一つとして仏教会津の象徴にもなっている金塔山恵隆寺の観音堂は、人々からは親しみを込めて立木観音と呼ばれています。 風神、雷神や二十八部衆を従えた巨大な千手観音は鎌倉時代に造られたもので、国の重要文化財に指定されています。本尊の身丈は8m50cmあり、一木彫で根の付いている仏像としては日本最大級の大きさです。また、本尊の左右に安置される脇侍の二十八部衆、風神・雷神30体の仏像は、身の丈2m弱の大きさで、すべて揃っており、密教様式を忠実に表現しており全国的にも大変珍しく貴重な仏像です。30体の眷属が揃っているのは京都三十間堂とこの立木観音堂だけとも言われています。

  • 恵隆寺観音堂(えりゅうじかんのんどう)(国指定重要文化財・建造物  指定:明治37年2月18日)この堂は、立木観音堂、塔寺観音堂などとも呼ばれ、寺伝によると建久年間(1190年~1199年)に建立され、永禄2年(1559年)の修理を経て、慶長16年(1611年)の地震で被災、直ちに蒲生氏の援助で大修理に着手、元和3年(1617年)竣工したといわれます。その後、宝暦年間(1751~1764年)の修理などがあり、大正5年には大規模な解体修理が行われました。この堂は、桁行(けたゆき)五間、梁間(はりま)四間、一重、寄棟造(よせむねづくり)、茅茸(かやぶき)で、四囲に切目緑(きりめえん)を廻らす。正面中央一間の向拝(ごはい)は、元和の修理時の後補です。柱はすべて円柱で、下から緑長押(えんなげし)、腰貫(こしぬき)、内法長押(うちのりなげし)、頭貫(かしらぬき)の順にわたして、柱頭には平三ツ斗(ひらみつど)を組み、斗きょう(ときょう)間には撥束(ばぢづか)を配します。軒は二重の繋垂木(しげたるき)で、軒先は隅に向かって軽く反らせ、棟には会津地方の茅茸特有の棟飾り(ぐし)を供えています。党内は拭(ふき)板茸、中央奥の来迎柱(らいごうばしら)前方には木造千手観音立像を安置し、天井は後補の棹縁(さおぶち)天井を張ります。架構や細部手法などはすべて和様で構成された木割雄大な遺構です。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 木造千手観音立像(もくぞうせんじゅかんのんりゅうぞう)(国指定重要文化財・彫刻  指定:大正4年3月26日)千手観音菩薩(ぼさつ)は、千手千眼観世音菩薩とも呼ばれ、千本の手を有し、それぞれの掌上に慈眼があり、十一面を頭上に戴く。この千の慈眼、千の慈手をもって一切衆生(しゅじょう)の苦思を観察して、それに手を差し伸べて救済するといいます。実際に千本の手を有する像もありますが、通常は胸の前で合掌した二手の他に左右に各二十手をつくることが多いです。それは四十手のそれぞれが、この菩薩の慈悲が及ぶ範囲である二十五有界の衆生を救うとされ、四十に二十五をかけて千手と数えられるという解釈によるといいます。二十五有界とは、衆生輪廻(りんね)の世界を二十五に分けたものでです。この像は、塔寺の立木観音といわれるケヤキ材の一木造(いちぼくづくり)の千手観音像で、像高7.42m、総高は8.5m余りの大像でです。立木仏といわれるように、一見素材の四隅を削りおとし、肉付けを行ったそっけない彫り口を見せているようでありますが、関東一円に多い立木観音像のはるかに素朴な彫刻性に比べると、目鼻ふ止ちをはじめ、衣文(えもん)の彫りなどに本格的な志向がうかがえる作風です。寺伝では弘法大師作と伝えるが、観音堂と同じく鎌倉期のもの思われます。なお、この千手観音には眷属(けんぞく)として二十八部衆と風神、富神合わせて三十クが完全な形でそろっています。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 木造二十八部衆立像 風神・雷神共(もくぞうにじゅうはちぶしゅうりゅうぞう・ふうじん・らいじんとも)(県指定重要文化財・彫刻  指定:昭和58年3月25日)二十八部衆は千手観音の眷族(けんぞく)で、真言陀羅尼(だらに)の誦持者(じゅじ)を病気、災害から守護するといいます。恵隆寺の千手観音の左右壇にはそれぞれ14体ずつ(雷神・風神を加えれば15体ずつ)が5列に並列されています。像高は157~175cm。この二十八部衆は数人の手になり、ケヤキやホウノキによる一木造(いちぼくづくり)ですが、全体的に彫りは浅く、面相や動作に動きが少なく、上下左右のバランスも必ずしも良好とはいえません。また、尊容等は儀軌によらず、地方色が濃厚です。京都・蓮華王院(三十三間堂)の写実性、精神性の深い三十尊像とは比較できませんが時代が下がるとはいえ、これだけ大きな像が完全にそろっているのは壮観で大変珍しいです。像の制作は室町時代と思われますが、像の彩色は、慶長の大地震(1611年)後の修理の際に塗り替えられたもので、さらに効果を増すために胡粉を盛り上げた部分に透き漆を塗り、その上に金箔を置くといった技巧を凝らした箇所も多く見られます。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 木造薬師如来坐像(もくぞうやくしにょらいざそう)(町指定重要文化財・彫刻  指定:昭和59年6月19日)像高96cm。立木観音堂前の仏堂に安置してあります。ヒノキ材の寄木造(よせぎづくり)、彫眼(ちょうがん)で、入念に内刳りされています。幅広の顔に切れ目の、太く大きな鼻など世俗的な色合いが見られます。肉髻(にっけい)は低く、怒り肩で首が短く、胸部の肉取りは厚い。量感ある体躯で、ずんぐりとした造形です。色彩、金泥が残ります。衲衣(のうえ)の下に僧祗支(そうぎし)をまとっています。また衣文の彫りは浅く、形式化しており、室町時代の作と思われます。蓮台の天板裏に、寛延3年(1750年)高寺主実応再興という墨書があり、修理を受けたことがわかります。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 木造阿弥陀如来坐像(伝紅玻璃阿弥陀)(もくぞうあみだにょらいざぞう でんぐはりあみだ)(町指定重要文化財・彫刻  指定:昭和59年6月19日)像高94cm。紅玻璃色(ぐはりいろ)に彩色された阿弥陀像です。赤は、密教で西方阿弥陀に対応する色で、寺院では紅玻璃阿弥陀と伝えますが、儀軌と像容が異なり、いつの時代にか、阿弥陀を紅に染めて密教的信仰に応じたものと思われます。本像は、ケヤキ材で前後矧ぎにし、内刳りを施しています。細みの体躯で脚部は薄く、衣文は形式化しています。大粒で粗い螺髪(らほつ)に、肉髻は低くつくられており、切れ目の彫眼、世俗的な面相に地方的作風がうかがわれ、鎌倉時代の作と思われます。後補の輪光背(りんこうはい)の支木に、元禄16年(1703年)に前別当覚峰、別当覚道の再興という刻書があり、この時の修理で像身が塗り直されたと思われます。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 木造金剛力士立像(もくぞうこんごうりきしりゅうぞう)(町指定重要文化財・彫刻  指定:平成7年12月22日)金剛力士とは、金剛杵(こんごうしょ)を手にした夜叉(やしゃ)神のことで、中国や日本では二体の一対像(二王で表すようになり、石窟(せっくつ)の入り口や寺の門口などに配されて、聖なる空間を外敵から護(まも)る役目をします。普通向かって右に口を開いた阿形像(あぎょぞう)、左に口を閉じた吽形像(うんぎょうぞう)を安置します。恵隆寺の金剛力士像は、阿形像、吽形像ともケヤキ材の一木道(いちもくづくり)で内刳(うちぐ)りはありません。台座もケヤキ材で別材です。像高阿形像261cm、吽形像261.2cm。両像とも筋肉の盛り上がりや両腕、両足の構えには力感がこもり、力強い造形がうかがえます。ただし、下半身、特に裳の折り返しや翻り部の表現は厚く重々しい。表現、技法に多少の相違はあるものの、両像とも鎌倉時代末から南北朝時代の作と思われます。山門に長い間安置されてきたにもかかわらず、比較的保存状態が良いです。(参考文献:会津坂下町の文化財)

  • 恵隆寺のアオナラガシワ(町指定天然記念物  指定:昭和53年3月9日)アオナラガシワhは葉下面無毛、脈上のみ有毛で、福島県はその自生地の北限といわれています。恵隆寺のアオナラガシワは、胸高幹周囲5.3m、樹高21m。推定樹齢800年といわれ、恵隆寺が現在地に移転し再興されたとされる建久年間(1190年~1199年)に植えられたものと伝えられます。福島県緑の文化財登録第373号。(参考文献:会津坂下町の文化財)

 

住所:福島県河沼郡会津坂下町大字塔寺字松原2944

電話:0242-83-3171

拝観時間:9時~16時

拝観料:お一人様 300円 ※御祈祷のご希望と団体での拝観の際は事前にご予約ください。

URL: http://www.tachikikannon.jp

金塔山恵隆寺立木観音1

 

金塔山恵隆寺立木観音2

 

金塔山恵隆寺立木観音3

 

金塔山恵隆寺立木観音4

 

金塔山恵隆寺立木観音5

 

金塔山恵隆寺立木観音6

 

金塔山恵隆寺立木観音7

 

金塔山恵隆寺立木観音8

 

金塔山恵隆寺立木観音9